正直なところ、世界一の桜というのは東京・目黒川だと思っていた。
もちろん、桜に優劣はないし順位もないのは重々承知だ。
ただ、転勤族の娘で「地元」がなかった私にとって、目黒川近辺は子ども時代を比較的長く過ごした地だったので、唯一地元と思い、唯一誇りに思える場所だった。
とはいえ、今回の哲学の道はそんな思い込みをくつがえすほど素晴らしかった。感嘆。
直前に嵐が来ていたので桜は全て散ってしまったのではないかと心配だったけれど、哲学の道のソメイヨシノは満開。
あまりの美しさに胸がいっぱいになって「願いは叶うんだ」と思った。
「死ぬ前に一度、"京都の桜"なるものを見てみたい」という願いがあった。
京都の桜が綺麗なのかは特に知らなかったけれど、なんとなく抱いていた憧れ。
この冬、少し苦しいことがあり、それを耐え抜いて得た、1日半の休暇。
2人の子供がいることもあって、私一人で京都に来るなんて不可能のように思えたけれど、願い続けていたら叶ってしまった。
2kmほどの道のりを、胸いっぱいの気持ちで歩いた。
東京の都心には桜の名所が沢山あってどれも美しいけれど、京都の桜が違う点は「自然との調和」なんじゃないかと思う。
目黒川もそうだけど、東京の桜は密集して植樹されていて、花が満開になると幾重にも重なって美しい。
ただ、京都の桜は「もっと背景がゆったりしている」と感じた。
鴨川の河川とか、1000年くらいの歴史のあるお寺とか、苔の塀とか、背景の色が違う。
古くなった木に独特の焦げ茶とか苔の緑とか。
京都といえど同じソメイヨシノだったら景色も同じでは?と少し懸念もあったけれど、背景の色合いが全然違うので、桜の見え方も全然違うように感じた。
CMなどで見る京都の桜のイメージは「古都+1本の立派な桜の木」というものだった。
満開のソメイヨシノだけでなく。京都には有名なしだれ桜や他の種類の桜が多くあり、それぞれ開花時期が違う。
多少、訪問の時期がずれてしまっても美しい桜を楽しむことが出来るというのは、雅を愛した地だからなのか、それとも京都を訪れる人を想ってか。
どちらかは分からないけれど、満開のソメイヨシノの時期が過ぎてしまったとしても美しい光景を求めて京都を春に訪問する価値は予想以上だった。