展覧会

ファッションインジャパン展

先日、国立新美術館で開催中のファッションインジャパン展に行ってきました。

 

東京での開催は9月6日までなので、もっと早く行けば良かったですね。

 

公式サイトを元にした概要と個人的に印象に残った部分を記録に残しておきたいと思います。

 

「ファッション イン ジャパン 1945-2020-流行と社会」展

そもそもファッションの展覧会を私のような一般ピープルが見ることってなかなかないんですよね。

 

誰がどう見ても美しいジュエリー系の展覧会等は結構多いけど、ファッションに関しては好みが分かれるからなのか・・・?

 

ファッションインジャパン展は流行の裏にある社会背景などが垣間見える展覧会。

 

戦後・高度経済成長期etc、様々な社会情勢の中で人々が「どうやって自分を装うか」「どうやって美しいものを身にまとうか」と工夫を凝らしてきた様子が見えてとても勉強になりました。

 

ということで、公式サイトを元に概要をご紹介します!

 

1920-1945 和装から洋装へ

ずっと和装だった日本人。

 

「近代化政策」の一環として洋装が取り入れられた時代から、第二次世界大戦中の国民服の時代へ。

 

ケイ
今の時代の感覚からすると、国が国民が着るべき服を指定するなんて本当に信じられないですよね。

 

多くの男性は国民服を着たようですが、女性に普及したのはモンペでした。

 

「モンペ=ダサい」というイメージがありましたが、モノが少ない時代に着物をアレンジして作ったものだと知って尊敬。

出典:http://loveartlab.me/2014/04/17/even-now-monpe-are-sold-as-labour-work-clothes/

 

ただ、戦時中のモンペを見ていて思ったのは、「ある意味、今の時代も同じようなもんだな」ということ。

 

今の東京もこんな感じですよね。派手な柄や派手な色で作ってもいいけど、展示のモンペを見る限り、街の空気がそれを許されなかった模様。

 

人の目が第一優先な装いで、「派手すぎてはならない」というマインドは今の東京も変わらない気がします。

 

1945-1950 戦後の洋裁ブーム

終戦直後は物が少ない状況下で自分で服を作って着ていたようです。

 

「厳しい日常の中でも心豊かに暮らすためのアイディア」ということで雑誌・それいゆが刊行(1946)。

 

そしてこの頃、洋裁学校で洋服の仕立てを習うことが大流行。

 

1950年代後半には映画の黄金期が到来し、「太陽族」ファッションなど映画をもとにした流行が生まれたそうです。

出典:https://www.nikkatsu.com/movie/20136.html

ケイ
今見ても扇情的というか、こんなのが1950年代に上映されたときの衝撃は想像に余る・・・。

 

1960年代 「作る」から「買う」時代へ

1960年代は中産階級が増え、日本でも消費拡大へ。

 

1964年の東京オリンピックでカラーテレビが普及したことは有名ですが、映画からテレビへ覇権が移りました。

引用:https://news.yahoo.co.jp/feature/342/

当時は「男性が赤を着るなんてけしからん」とクレームが多数入ったらしい。

 

ロンドンで始まった若者文化が日本にも広がり、ツィギーのミニスカートやアメリカの大学生を模したアイビースタイルが流行。

 

一般の人が海外の流行に憧れるスタイルはこの頃から始まったのかなと思いました。

 

個人的に印象的だったのは「太陽に愛されよう」という資生堂Beauty Cakeの広告。

「日焼け=かっこいいという時代もあったのね・・・"肌の色の流行"なんてマーケティング次第なんだな」と思った地黒で悩む女子でした。

出典:https://precious.jp/articles/-/12349

 

1970年代 個性豊かな日本人デザイナーの躍進

日本人若手デザイナー達が登場し、海外のコレクションで活躍。

金子功、菊池武夫、コシノ・ジュンコ、花井幸子、松田光弘、山本寛斎といった気鋭のデザイナー達がTD6(トップデザイナー6)を立ち上げ、個人の生き方を反映した様々な装いを提案。

 

一方で、学生運動が展開され、Tシャツやジーンズなどの「装わない」というスタイルも受け入れられた時代。あとはベトナム戦争への反対から派生したヒッピー。

 

こちらは現代版。

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こうして原宿が若者の街に変貌していきました。

 

1970年代で個人的に印象に残ったのはハマトラ。聞いたことはあったけどなんじゃそりゃ?の状態。

 

「横浜トラディショナル」の略で、「横浜のお嬢様ファッション」を指すらしい。

 

「ハマトラの三種の神器」なるものがあって

・フクゾー用品店の洋服

・ミハマの靴

・キタムラのバッグ

らしい。

 

今の時代にもヴァンクリのアルハンブラ+シャネルかカルティエの時計+エルメスの靴というセット??的なファッションの方たちに会うことがありますが、ハマトラみたいなもんなんだなと思いました。

 

1980年代 DCブランドの最盛期

ザ・バブルの最盛期の1980年代。

 

「感性の時代」という言葉が頻繁に用いられ、デザイナーの個性を打ち出したDCブランドというものをまとう人が増えたそうです。

 

DCブランドって何??と思ったら「デザイナーズ&キャラクターズ」の意味で、明確な定義があるわけではないものの

ISSEI MIYAKE

COMME des GARCONS

Yohji Yamamoto

が御三家と呼ばれたらしい。

 

因みにISSEI MIYAKE出身のデザイナーとしてはTSUMORI CHISATOさんや最近話題のMame Kurogouchiさんらがいます。

 

1990年代 渋谷・原宿から発信された新たなファッション~ギャルの時代~

1990年代あたりから私(1986生まれ)も「分かる分かる!」と感じる展示にw

 

バブルが崩壊し、流行の発信地は「街」へ。

 

ケイ
先日のちきりんさんのVoicyでの視聴者の方とのやりとりによると、ルーズソックスは一店員さんのアイディアだったらしい。

 

コギャル全盛期に中学生だった者として、ルーズソックスが透明ケースに入って展示されているのはなかなかシュールでしたwww

 

でも、ギャルの時代、明るくていいなって。

 

今は街や森に溶け込みそうな服装の人が多いですよね。

出典:https://mdpr.jp/fashion/1886185

 

出典:https://mine-3m.com/articles/102092

 

かくいう私も、母業をしていると、「悪目立ちしちゃいけない」って勝手に自制してしまうシーンがあります。

 

一方、ギャルは目立ってなんぼ。

人にどう思われるかってネガティブな方向じゃなくて、なんかいいな。

 

あとヒートテックが展示してあったのも割と衝撃でした。

下着に機能性をもたせたというのも画期的なアイディアだったし、冬の装いを変えた逸品ということらしい。

 

2000年代 世界に躍進したKawaii

2000年代になるとKawaiiカルチャーが世界に認識されるように。

 

ゴシック系・ロリータ・ファッションをした外国人もたまに日本でみかけますよね。

長引く不況でファストファッションが普及し、「誰もが人気のスタイル」に身を包むことで安心する人たちも。

 

2010年代 「いいね」の時代へ

いよいよ、現代。流行の発信地は個人へ。

そして、東日本大震災や景気のさらなる落ち込みetcで人々の意識が代わりつつあり、サステナビリティ「ていねいな暮らし」が注目されるように。

ファッションの中心はリラックスした雰囲気に。

私も大好きMARIHA♡

まとめ

国立新美術館で開催されていたファッションインジャパン展は

  • 戦前~現代までの日本のファッションの歴史をめぐる展覧会
  • それぞれの時代背景がファッションに与えた影響をたどる
  • 自分の祖父母・父母・自分達など、各世代が若い頃に夢中になったものが紹介されている

という、興味深い展覧会でした。

 

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